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2011年3月13日 (日)

「いつもの・・・」を取り戻す

記録のために自分が経験した、または感じたことを記しておきます。

「こんな」時ですが、いや、こんな時だからこそ、日常を取り戻すことが出来る状況にある人は「いつもの・・・」活動をしていきましょう。余震の合間を縫ってほんの少しだけ自転車で出かけてきました。本来の目的は食料調達なんですけどね。

で。

手賀沼ヒドリ橋付近の河津桜です。東葛飾在住の自転車乗りの皆さんにとって見慣れた日常の光景だと思いますので、これを見て早く日常を取り戻せるようにしてください。

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さて、11日からの記録です。

【11日】

103は湯島の事務所、6階にいました。あれ?と思って外を見ると周囲のビルと電信柱が揺れてます。ほとんどの社員が外に出て周りの状況を確認。同時にテレビで情報収集。

どうやらこの日は仕事になりそうもない。

いろいろと相談して、帰宅組と会社残留組に分かれる。幸い会社のまん前にコンビニがあるので一晩くらい問題なさそう。

で、帰宅組のうち行動をともにしたのは亀有・松戸・南柏に住む同僚3人。とりあえずタクシーを捜しながら上野駅まで歩く。タクシーは結構頻繁に通るも、みんな回送か賃走。上野駅についた時点でバス停を探すと、金町行きの停留所発見。ところが、15時以降は時刻表が記載されてない。どうやら、曜日や時間特定でこの停留所からはバスは出ない模様。それでも待っている人が20人ほどいたが、それを尻目に浅草まで歩くことに。

携帯で撮った上野駅前スタバ付近。

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浅草の寿町から金町駅行きがあるらしいので移動。

もうこの時点で街中は帰宅に向かうサラリーマンでごった返している。クルマで会社に行くときに「寿町」という地名を見ていたので大体の場所は分かるが、普段はバスなんか使わない。近くまで行ってそれらしきバス停を偶然見つけてみんなで並ぶ。タイムテーブルを見ると今の時間帯は1時間に2~3本。果たしてこの非常時にどれだけ待つのか。

バス停に並び始めたのが17時ちょい過ぎ。待ってる間別の行き先のバスが行き過ぎるが、ガラガラ。利用客が少ないらしい。そのバスが続けざまに2本、3本と通過。それなら金町行きに切り替えて欲しい~とも思うが、運転手さんが勝手に行き先変えるわけにはいきませんからね~。

もうすぐ並び始めてから1時間というところでようやく1台目が到着。当然前に並んでいるヒトが多く、そのバスには乗れず。が、幸運なことに2台目が直後にやってくる。4人揃って乗り込むが、ギリギリ。運転手のすぐ脇に立ってとりあえず一安心。

しかし。

案の定、走り始めてすぐに混みはじめる。写真は車内から撮った交差点の様子。人だらけ。

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運転手さんが本部(?)と連絡取る声が聞こえる。

運:ただいま江戸通り。渋滞して動かない。水戸街道の状況教えて欲しい。

本:水戸街道に車が集中して身動きが取れない状況。そこから言問橋まで恐らく2時間くらいかかる。

運:(絶句)

本:お客様にはその旨伝えて、希望者は歩いたほうが早い。

運:・・・了解。

というわけで、当然降ろしてもらい歩き始める。トイレに行きたくなり、他の3人に先に行ってもらう。コンビニのトイレが混んでいるようだったので。

その後はひたすら水戸街道を歩く、あるく。アルク。

途中、建物の壁が落ちているところや、この状況でお通夜を執り行っているところを通過したり。ひとつ慰みだったのは、民家の庭に梅の花がチラホラ咲いていたこと。なんだか暖かい気持ちになって頑張れた。

携帯電話はまったく通じない。メールもしばらくダメだった。他社キャリアの携帯では話している人もいるが、103の携帯は全然ダメ。とにかく家族が心配。

松戸通過が21時頃。都心から離れるほど自転車で追い抜く人が多かったような気が。そこでようやくメールだけ届くようになり、家族の安全を確認。とにかくほっとした。

北松戸近くのセブンでなにかお腹に入れようと思い入ると、先ほど分かれた同僚と偶然再会。彼の奥さんが八王子方面へ出かけていて連絡が取れないらしい。相当疲れている様子。彼は事情があり携帯電話を持っておらず、奥さんの携帯電話へ通話を試みるも回線自体が不安定なのかつながらず。103の携帯からメールすれば通じるかも?と提案するが、彼自身携帯を持っていないので奥さんのメルアド知らないらしい(!)

なんとか励ましながら歩くが、松戸~柏間は精神的に非常につらかった。

南柏で彼と別れる。奥さんから自宅の留守電にでもメッセージが入っていればいいけど。

ここまで来ればあと2駅分だ!と思うが、ここからがこの日最もつらい区間となった。なにせ、しょっちゅうベルサイクル~自宅間は水戸街道を使おうが使うまいが行き来している距離。自転車なら文字通り朝飯前。

しかし、翌週の出張用の書類が入ったかばんを持ち、革靴で歩いてきたためかカラダが悲鳴を上げ始めた。腰が痛い。腿が上がらない。右ふくらはぎが肉離れしそうな兆候。おまけに寒くて鼻水出っ放し。そいつが乾いて鼻のしたガビガビ(苦笑)

水戸街道は江戸川までは下り車線が大渋滞、松戸に入ってからは上り車線が動かない。自衛隊の緊急支援車両も渋滞に巻き込まれている。警察が先導するとか、出来ないのかな・・・

北柏についた時は既に日付が変わり、夜中の2時近く。

カミさんと子供たちの顔を見たら嬉しくて涙が出そうだった。

『まったく、ウチより葛西の実家のほうが近かったのに、バカだね~(嬉涙)』なんて話しながら、酷使した脚をカミさんに揉み解してもらった。その日は家族みんなでリビングで寝る。103は疲れですぐに寝ちゃったらしいけど、みんなは4時頃まで余震が気になってなかなか眠れなかったらしい。携帯にくる「緊急地震速報」が鳴ったのに起きなかったんだから、能天気なオヤジだね。

【12日】

能天気だけど早く起きた(笑)。でも、脚が痛くて動けず。皆さん、20km以上歩くと翌日の非難に支障が出るのでやめましょう(自爆)。

この日、いまだに続く余震の心配から、食糧確保に出かけることにする。しかし、昨晩アノ時間まで大渋滞だった水戸街道、車で行くとしたら行き先とルートを考えないとドツボにはまりそう。

買出しは最低限にして近場へ。出来るだけ幹線道路を避けて行く事にする。目標は「おっ母さん 北柏店」。オッティモのすぐ近くだ。普段は自転車でも行くけど、この日は103の脚が使えないので(再自爆)クルマで。6号はめちゃ込みだったが、横切るだけだったので問題なし。

開店直後だったので(?)それほど混んでいないし品物も潤沢に揃っていた。レジの人の話ではPascoの工場が被害を受けたので今朝の入荷は無し。ヤマザキパンからの入荷量も発注の3~5割程度とのこと。必要なものだけ買い込んで、子供たち2人を残しているので急いで帰宅。翌日エスパでの混雑状況を考えると、これはラッキーだった。

【13日】

多少余震も落ち着いてきたものの、原発問題が必要以上にマスコミから突き上げられていて、気分が悪い。情報開示が遅いのも問題あるが、現場の人は恐らくスタジオにいる評論家がやらない危険な仕事に従事して日本国民すべてを守ろうとしている。脱帽。ただ、それを伝える広報(?)の人がもっと現場を信じて的確な情報開示をして欲しかったなと。いや、彼らも精一杯やっていたのかな。誰かを攻めるべきではないんだろうとも思いながらも、テレビの報道に疑問を持ったのもたしか。

で、この日いろんな人のツイートやラジオ、テレビの情報から思ったのは「いま、可能なら日常を取り戻そう」ということ。この日我が家では、

① ちゃんと早起きしたよ(夜更かししちゃったけど)

② 朝からカレー食べたよ(日常っぽいでしょ?)

③ 来週の仕事の段取りだって(金曜日は途中で帰ったからね~)

④ ドイツの友人にも無事である報告したし

⑤ なんといっても自転車に乗った

ことがイチバン普段の103っぽいかな。で、冒頭の手賀沼に咲く桜を見てきました。11日の梅といい、この桜といい、どんなときでも日常は動いているんだなって。幸い(ほんっとに幸せ)、我々の受けた被害はゼロにも等しいくらいなのだから、「いつもの」生活を送りその中で出来る支援をしていくことが、離れたところで被災した方々に対するイチバン効果的な「HELP」になるんだと思います。

1日でも早く被災地の方々が落ち着いて春の訪れを感じられますことを切に祈っています。

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コメント

徒歩での帰宅大変だったでしょう。
でもいつも自転車で長時間というのに慣れているので普通の人よりは大丈夫と感じませんでしたか?
しかし、言問橋まで2時間とはどれだけ?という感じですね。

昭和通りと清洲橋通りでタクシー捕獲のために徘徊してましたが、昭和通りは激込み、清洲橋通りは普通というか空いてるぐらいだったので御家族の方が迎えに来て、メイン通りを使っていて混雑という雰囲気を感じました。
ともかく御無事に帰宅できて良かったですね。

taroさん、コメントありがとうございます。
今回の徒歩帰宅はいい経験になりました。
とにかくメインの道路は異常な混み方なのに、ちょっと入ると静かだったようです。

今日はジテツウしましたが、感じたこと。
「なんだ、クルマより早いし、そんなに大変じゃないや」でした。ただ、車道を走る自転車に幅寄せするクルマが多いのに閉口しましたが。

良いルートを探せばもっと快適に走れて、健康にもいい。ご飯もうまい。やっぱ自転車サイコー♪

昨日出社すると、かなりの人からどうやって宮城県から脱出したのか質問攻めにあいました。
皆さん予想されているより全然楽で、歩いて帰った103の方が遙かに苦労されております。

被災された方からすれば全く些細なことですが、原発も地震も品薄も、早く治まって元の生活に戻して欲しいものです。

はんぞうさん、何が真実なのかわかりにくい世の中ですね(いつもそうなのかも知れませんが)。

結局、マスコミが面白おかしく、あるいはお涙頂戴で報道しているのとは別の世界での「被災」があるのかもしれませんね。

会社の同僚も宮城県で被災しましたが、お客様のところにお世話になり、明日無事に帰ってくる予定です。

「どこにいるか」ということももちろん重要ですが、「誰といるか」によってその人の境遇は変わってくるのでしょうね。

いずれにしても、「いつもの生活が一番」という、当たり前のことを痛感した今回の出来事(まだ終わってなどいませんが)だったと思います。

10さん、こんばんは。15日は、私もオッティモ付近から自宅まで歩きました。丁度2時間かかったので、だいたい10kmぐらいだと思います。しかし、湯島から徒歩とは頑張りましたね。しかも非常事態ですからね。無事帰還できて良かったです。東武野田線の運行が乱れているので、私は16日からEscape通勤していますが、よっぽど快適です。

KAKAPOさん、コメントありがとうございます。

さっきもカミさんと話していましたが、電車で職場に行って帰って来れなくなるのはイヤだな~と。で、自分も今週はジテツウしていますが、KAKAPOさんの通勤ルートは恐らく運河~利根川CR~新利根大橋だろうから、(天気がよければ)サイクリング気分で楽しい通勤なんだろうな、と。

湯島からはおよそ30km以上ありますが、お勧めしません(爆)。

今頃コメントすみません。
103さん帰宅難民ってやつだったんですね。
ほんと大変、お疲れ様でした。
私もいろいろとあって今回の震災は大きな教訓となりました。自然に対しもっと謙虚に生きたいと思います。

ピナ男さん、コメントありがとうございます。
ま、筋肉痛になってもボクは帰宅できたのですから、自宅が流されてしまった人に比べれば数100万倍幸せです。
ピナ男さんのブログの数々の写真を見て、中途半端な報道をするマスコミよりもよっぽど身近な自然の脅威を感じました。

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