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2009年2月 6日 (金)

『われわれはなぜ死ぬのか-死の生命科学』読了。

われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学 Book われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学

著者:柳澤 桂子
販売元:草思社
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ボクの主治医の口癖。

『ニンゲン、病気にかかるだろ?外から細菌やウイルスが侵入してくるからだ。インフルエンザだろうが、HIVだろうが、エボラ熱だろうが。予防注射だってニンゲンの抗原抗体反応を利用して、わざと軽い病気にしておいて重い病気にかからなくするんだ。で、ニンゲン長くやってればどんどん体が侵されていくわけで、それをリセットするために子孫をもうけるわけだ。つまり汚れた体を捨てるわけだ。』

まったく、極端なことをいう人だな~、と思っていたが本書を読むと大いに納得できる。

以下、本書からの抜粋。

生命現象としての死と人間が意識している死との間にはちがいがあるのか?

②生物にとって、もっとも基本的な死は食べ物がなくなるとか(中略)受動的な死であろう。しかし、生物が進化していくにつれて、いろいろなかたちの能動的な死があらわれてきた。

③体細胞は一代で死に絶えるのに、生殖細胞はなぜ生き続けることができるのか?

④本文中でハッキリ筆者は述べている。 ⇒ 「体細胞は、その個体が死ぬと消滅してしまうが、生殖細胞は、別の生殖細胞と融合し、子供という新たな個体となって生き残る。したがって、生殖細胞の連続性をたどれば、理論上は生命の起源にまでさかのぼることになる。生命の連続性は生殖細胞の連続性によって維持されている。そのような意味で、生殖細胞は不死である。」

⑤生命現象は受精とともに不可逆的に一つの方向に向けて進行しはじめるのである。しかし、この不可逆性は、あくまでも自然の状態においてということであって、(中略)条件さえととのえば、分化時計を0時にもどすことができる可能性もある。(!)

⑥私たちの寿命は、受精の瞬間から時を刻みはじめる。産声をあげる十ヶ月も前から、私たちは死に向けて歩みはじめるのである。しかし、その歩みは、はじめから崩壊に向かっているのではない。一個の受精卵は60兆個の細胞に増え、人間という小さな宇宙を形成する。脳が発達して、喜怒哀楽を感じ、考え、学習する。自意識と無の概念は死へのおそれを生むが、死への歩みは成熟、完成を経る歩みである。100年に満たない死への歩みの中で、私たちには自分を高める余地が残されている・・・

太線下線斜体は103が加筆しました)

つまり、36億年前から生物のDNAは連綿と受け継がれてきていて、個体はほろんでも生物の核となる遺伝子は(進化こそしても)一度も死に絶えたことはない、と言っているのだ。

冒頭の主治医の話に通じる部分がある。すんげ~大げさな話しだけど、これが真実なのかもしれない。

「生物」が好きな人に超協力にオススメする書である。

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