午前も午後も手賀沼だ!
最近朝練サボっているため、手賀沼をあまり走っていませんでした。確か火曜日以来です。朝ゆっくり走り始め、10:00までに帰らなければいけないので水道橋まで往復して帰路へつく。さすがこの時間になるとオッティモグループに2回、チームはわからないけど10数人のグループとすれちがう。
午前の用事を済ませて昼食を取り、午後の部のポタへ。今度は夕方散髪に行くため中途半端な時間しかない。特にどこへ行く当てもないのでまた手賀沼を走り、浅間橋へ到達する頃にふとE-ponさんのブログに手賀教会の事が載っていたのを思い出し、そちらへ足を向ける。
久しぶりの道だが、なんとか覚えているモンで無事教会にたどり着く。バッチリ藁も葺き替えてあります。
ウワサ通り半分じゃ~ん。おもしれ~!アレ?よく見ると内部が見学できるようです。そういえば定期的に公開してるんだっけ?「お~、気まぐれできてみりゃ得したな~」と思い見学させてもらう。住所と名前を記帳するノートがあったので謹んで書かせていただく。その隣に『手賀教会の創立』と『宣教師ニコライ 沼南布教日記』の印刷物があったので貰い受ける。
中にはキリスト、聖母マリア、最後ならぬ機密の晩餐という3枚の絵の複製が。眺めていると中から管理人(?)さんが。おまけに近所の老夫婦もやってきてしばし教会談義。おかげでいろいろ分かったよ。
① 屋根の藁葺きは半分しかやっていないが、予算がないので当分このまま(!)
② ここの管理人はボランティアで、無報酬
③ 前記3枚の絵は明治22年(だったと思う)に駿河台(もしかしてニコライ堂?)から譲り受けたもので、当時のお金で25円という記録が残っている。でも、この金額が当時の運賃だったのか絵にかけた保険だったのか、それとも他の費用だったのかよく分かっていないらしい。
④ この建物はもともと民家だったところに礼拝堂をあとから増築したようなつくりになっている
⑤ 建物の後ろに回ると、当時のトイレ(屋外)の痕跡らしきものが残っている
この絵は山下りんという茨城県笠間の画家が描いたらしい。自分は特に信心深いわけではないが(おまけにキリスト教徒ではないし)、心のよりどころとして人間が発明(考案?)したところの宗教というものについては興味がある。今よりも不便で情報が広まりにくい世の中でこういった考えが後世まで残るというのは、熱心な布教活動とそれを支える信者の並々ならぬ努力があったと推察される。
超地元でのポタだったが、なんだか得したような1日だった。
予定通り散髪へ行きスッキリしたので、ヘルメットの穴から侵入してくる風がちょっとだけ涼しいです
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コメント
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10さん、こんにちは
面白いところがあるんですね。
「やましたりん」さんを「やまくだりん」さんと読んでました
何考えてたんでしょうね?
投稿: ちぇん太 | 2008年3月 3日 (月) 08時03分
ちぇん太さん、「やまくだりん」と読めちゃうということは、山登りしたい季節が近付いてきたということでしょうか?
投稿: 103 | 2008年3月 5日 (水) 06時08分